Jomonさんこと雨宮国広とは?

Jomonさんこと雨宮国広の自己紹介

15にして学に志し、30にして立ち、40にして迷わず、50にして天命を知る…。私の人生も「人生とは何ぞやと哲学を志し、30にして雨宮大工として独立をし、40にして石斧と出会い決心し、50にして丸木舟をつくり、天命を知った。」と、まさに、この孔子の言葉通りに歩んでいる気がします。

 ただ自分の好きなことだけを求めてきたのではなく、大工修業時代と子育て時代(4人の子ども)が重なり合う中で、自分自身の理想の生き方を思い求めて生きてきました。「地球上のすべての生き物たちが、仲良く楽しく面白く暮らせる地球船をつくること。」これが私の理想ですが、このことが「世界中のすべての人たちの理想」となることが私の夢でもあるのです。決して高き理想でもなく、実現しない夢でもないと思っています。なぜなら私たちには、本来このような人間性が備わっているからです。

雨宮国広
Kunihiro Amemiya
1969年山梨県甲州市生まれ。
縄文大工・建築家・地球元気村特別講師

 アルバイトで経験した丸太の皮むきをきっかけに、大工の道へ進む。文化財修復の仕事の際、先人の手仕事に出会い感動。機械を使わず手道具のみで施す伝統的な手法に傾倒する。人類が使う道具の原点である石斧に出会ってからは、縄文時代の手道具を用いたものづくりを通して、効率主義では産み出せないすべての命を大切にするような人間の暮らしのあり方を提唱している。2015年NHK番組「超絶凄ワザ!」に超絶技巧の大工として出演。201819年、国立科学博物館主催「3万年前の航海、徹底再現プロジェクト〈完結編〉」に携わり、丸木舟を木の伐採から仕上げまで石斧だけで製作。完成した舟は、台湾から与那国島までの航海に成功した。2020年9月、「ぼくは縄文大工」を平凡社新書より初出版。2021年、「所さんの目がテン!」に丸木舟作りの講師として3週連続出演。2021年、NHKBSプレミアム番組「やみつき人生」に出演。同年5月17日、テレビ朝日「激レアさんを連れてきた」に出演。

ココはJomonさんのことをもっと知っていただくためのページです。

〈自然から大切なことを学んだ少年期〉

 まずは、Jomonさんを演じる「雨宮国広」という人物を、深く知っていただくことが必要だと思い、少し長めの自己紹介をいたします。どんなプロジェクトも主催する人間が「どのような人物であるか」によって、その質が左右されるからです。

 「Jomonさんがやってきた!」プロジェクト代表の雨宮国広です。私は小さな頃から、川や雑木林・山や海など、自然の中で遊ぶのが大好きな少年でした。中学2年生の時、地元の2000メートル級の山に登り、日帰りの登山予定が道に迷い遭難して全国ニュースになったほどでした。その体験から、「山(自然)は、人間の振る舞い次第で楽しいものにも怖いものにもなるのだ」という意識が芽生えました。その後、常に自然の中に足を踏み入れるときは、「自分の命を守るために、どのような行動をとらなければならないのか」ということを一番に考えて行動するようになりました。同時に自然の中で楽しく遊ぶには、まず自然のことを知らなければいけないことも痛感しました。このように、私の少年期に起きた命に関わる山での遭難という出来事は、自分の命を守る方法を考える契機となったのです。また、子どもながらに「自然とは何なのか」といった哲学的思想も芽生えたのでした。

 高校生になると、自然観から人生観を考えることに夢中になり、学校の勉強にはまったく関心がなくなりました。「人生とは何ぞや」といった壮大な問いの答えなど、解るわけもないのですが、真剣に向き合い悩んでいました。そんな中で、いろいろな人生の喜怒哀楽に揺れ動く感動という現象が好きだった私は、人を演技で感動させる俳優の仕事に憧れました。高校卒業後、その道を目指したのですが断念。その後、何をしたいのかも分からないまま、知人の紹介で丸太小屋で使用する丸太の皮むきのアルバイトを始めたのです。

〈大工の世界への一歩〉

 12メートルの長さの巨大な丸太を、皮むき専用のナイフを使い自分の力だけで削っていく作業。最初は大変でしたが、その大変さを積み重ねた結果、道具の使い方次第で効率よく作業できるコツをつかめ、それからは楽しく面白く皮むきができました。この体験から道具を使う楽しさを知った私は、その丸太をチェーンソーで刻み、一本一本積み重ねて立派な丸太小屋をつくり上げる大工さんになりたいと思ったのです。ちょうど20歳の時でした。

〈大工の世界への二歩〉

 丸太小屋づくりでの大工修業は、初めて手にする道具(チェーンソー)と創意工夫しながら向き合い、使いこなしていく過程がとても楽しいものでした。同時に、親方が手道具(ノミ、カンナ、ノコギリなど)を使って作業している姿は人と道具の一体感があり、とても美しく見えたのです。私の心はだんだんと現代の機械道具(チェーンソー)ではなく、機械化させる以前の鉄の手道具(ノミ、カンナ、ノコギリなど)を使いこなす「匠の技」の修得を目指し始めたのです。

〈大工の世界への三歩〉

 次なるものづくりのステージを丸太小屋から一般住宅建築に移し、匠の技(手道具使用技術)の上達をその仕事に求めたのですが、現実は機械道具が主力の住宅建築だったのです。ならば、日本が世界に誇る「宮大工」の世界へ飛び込んでみようと思ったのです。

〈先人の手仕事に感動!〉

 30歳になるまでの6年間、宮大工の仕事を体験してみて感じた事は、「住宅建築よりは、手道具を使う機会は増えたが、やはり主力は機械道具電動式のカンナ、ドリル、ノコギリなどだった」ということでした。ところが、昔の建物と触れ合ったことで、先人の手仕事に魅了されたのです。その仕事は、斧1本で丸太を角材にする木材加工の技術でした。今では、製材機で一瞬に加工できるのですが、機械のない時代は鉞(まさかり)という刃幅の広い鉄斧で、丸太の上に乗りその斧を振り下ろして少しずつ削っていったのです。私はこの手仕事に感動し、先人のように建物を手道具だけでつくり上げたいと思ったのです。

〈雨宮大工としての挑戦が始まる〉

 「建物をつくるのに、すべて手道具でつくる」。このようなことは、国宝の修理現場でもやっていないことなのです。「ならば自分でやるしかない」と独立し、江戸時代のようなものづくりを目指してみたのですが、すぐにはこのような理想の仕事などできるわけがありませんでした。なぜなら独立するまでの10年間、機械の道具を主体に現代の大工技術を修得してきただけだからです。そもそも江戸時代の大工さんのように、手道具だけで建物をつくった経験がまったくなかったのですから。そこで私は、一棟つくるごとに手道具だけの仕事を部分的に取り入れていったのです。例えば、「大黒柱だけを斧一本でつくる」といった具合にです。そのかいあって独立して5年目に、6畳の離れ小屋を手道具だけでつくる大工仕事に挑戦することができたのです。何もかも初めての大工仕事を乗り越え、足掛け5年の歳月をかけて完成させることができました。この仕事で体得した手道具の使用技術は、2007年ドイツでの鳥居づくりに生かされました。2010年には日本とヨーロッパの職人の技術交流会小さな削ろう会in一之瀬として、世界の伝統技術で小さな小屋を2棟建てる国際大会を、日本で開催することにも繋がりました。さらに、2014年にNHK番組「超絶凄ワザ」に出演し、ノコギリでの薄切りの技を、相手方の電動ノコギリと競い合いました。このように、雨宮大工として独立して15年が経った頃には、だんだんと目指すものづくりが形となってきたのですが、常に私の心を曇らせる何かが心の片隅にあったのです。

〈現代建築への違和感〉

 私は、最初は機械道具に、次は鉄製の手道具に魅了されながら、大工修業を始めて5年間ほどはその使用技術修得に没頭していました。「現在の建築物がどんな素材でつくられているのか」なんてことは、一切考えなかったのです。ところが、アスベストやホルムアルデヒドなどといった、有害な化学物質が建築素材に含まれていることが世間で騒がれるようになったことで、技術習得に一辺倒だった私もそのことに関心が出てきたのです。

 独立してからは、自然素材の代表格である木材をふんだんに使った家づくりを実践してきました。しかし、これにも限界がありました。現代人が望む「夏涼しく冬暖かい住空間」を実現するためには、自然素材以外の化学健材の使用を余儀なくされました。なぜなら、木製建具や板壁などでは高気密・高断熱の室内空間に至らないからです。しかし、その行為は人間の健康に害を及ぼし、命を縮めることになるのです。さらに、このような家づくりが世界中で行われ、そこで使用される木材や化学建材は莫大な量となっています。結果的に森の乱伐や環境汚染を招いているのです。

 「この問題を解決しないまま、現代建築の潮流に身を置く自分」と「生きるためにはどうしてもお金が必要だ」という背に腹はかえられない自分が私の心を曇らせていたのでした。

〈100万ボルト級の一振りが人生を変えた〉

 約3000万種ともいわれるこの地球上の生き物の中で、道具を手に創意工夫してものをつくるのは人間だけです。人類と道具は密接であり、道具がなくては暮らしが立ち行かないほど必要で大切なものなのです。しかし、私たちはこの道具のことをどれだけ理解しているでしょうか。

 道具といえば「何かを作り出すもの」というぐらいで、それがどんな素材でできていてどのような能力があり、地球環境にどのような影響を与えるのか…ということまでは、まず考えていないのではないでしょうか。
 しかし、道具が大型化され人の手を離れる以前の人びとは、このようなことを理解して道具を使用していたのだと思います。何かものをつくり出す時は、必ず自分の手に道具を握りしめていたからです。

 私は現代の大工として、鉄の道具そして機械の道具を使用してきて、このことと向き合ってきました。どちらとも文明が作り上げた、物質的豊かさを築き上げるのに必要な道具だったのです。文明誕生以前の原始時代には、暮らしに必要なものをつくり出す道具など存在しないと思っていました。あえて言うなら、「石斧は動物を倒す狩猟用具だった」くらいのものでしかありませんでした。ところが、2008年、石斧を研究している知人から蛇紋岩という石が送られてきたのです。1年ほど作業場の片隅に埋もれていました。ところがある日、石斧に秘められるものづくりの能力を確かめたくなり、石の塊を打ち割り「石斧」をつくってみたのです。

 3日後、初めて自分でつくり上げた石斧を手にし、栗の丸太の前に身構え斧を振り上げたのです。斧を入れた瞬間、「これだー。僕が求めていた道具だ!」と感じたのです。私は一振りの石斧体験から、今まで心を曇らせていた問題を「この道具なら解決してくれる」と確信したのです。その時、私の心は晴天となり「この石斧と一生を共にする」と決心できたのです。たとえ、大量にものを産みだす道具でなくても・・・。

〈石斧が引き寄せた初仕事、真脇遺跡の縄文小屋〉

 「石斧を使って小屋をつくりたい」という念願が、ついに2014年にやってきたのです。その仕事は、石川県能登町にある真脇遺跡での「縄文小屋づくり」のプロジェクトだったのです。従来のわら縄を使用し、木と木を縛り付ける「縄組み工法」ではなく、石斧と石ノミを使って木と木を組み合わせ建物をつくるものです。伝統的木造建築の原点でもあるこの「木組み工法」に挑戦しながら、2017年、日本で唯一の木組み工法の縄文小屋を完成させました。

 石斧で実際に建物をつくり上げたことで、その能力の高さと木組み工法が縄文時代にもできたことを実証できたのです。この素晴らしい石斧で、さらなる高度なものづくりがしたいと思っていた矢先に、なんと国立科学博物館から「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」で使用する丸木舟製作の依頼が来たのです。

〈旧石器時代の丸木舟をつくる仕事がやってきた〉

 縄文時代の石斧が石器文化の到達点だと思い込んでいた私にとって、このプロジェクトは大きな衝撃を与えてくれました。なぜなら、大海を航海できる超高性能な丸木舟を、「旧石器時代の石斧」でつくり上げるものだったからです。「技術の進歩は時の経過とともに向上する」という概念をひっくり返すものでした。

 マンモスがいた頃の旧石器時代、私たちの祖先は、どうやってこの日本列島に渡ってきたのか?彼らの本当の姿を知りたい。「ならばやるしかない」と始めた「三万年前の航海徹底再現プロジェクト」(国立科学博物館主催)。

 2016年の開始当初は、原始的な舟を想像して草舟や竹筏舟での挑戦でしたが、世界最大の海流「黒潮」を限られた期間の中では乗り越えられませんでした。そこで、最後の舟として丸木舟が浮上したのです。さっそく、3万年前の石器(刃部磨製石斧)で伐採実験を行いました。なんと、驚くことに直径1m20㎝ほどもある杉の巨木を切り倒すことができたのです。

 その後の丸太を舟にする製作過程は、試行錯誤の連続でした。これ以上削ることができなくなった最終段階で、1番良い舟をつくり上げることができたのです。そして、2019年7月、小さな5人乗りの丸木舟で、ついに台湾から与那国島(日本最西端)までの225㎞、45時間の大航海を成功させたのです。このプロジェクトに参加した私は、「野蛮人」の一言で片付けられてきた原始人たちの本当の姿を、石斧での丸木舟づくりと航海を通して目の当たりにしたのです。私の心に映し出されたその姿とは、「天文・気象・海洋のあらゆる自然現象をしっかりと理解し、自然界のすべてのものを味方にし、敵をつくらず生き抜く術を体得している人達」でした。

 彼らは、まさに今世界が求める、自然環境と動植物や人間の生命とが調和のとれた暮らし(エコロジカルバランス)の実践者だったのです。だからこそ、文明の利器がなくても自然界にあるものだけを活用し、知識と行動力で文明人が足元にも及ばないことをやってのけてきたのです。私たちは、文明の力によってあらゆる場面で、その恩恵を受けながら航海ができたわけですが、彼らは自らの力だけで原始航海を成し遂げてきたのです。今こそ、この驚異的な原始の人間力に文明人が学ぶ時がやってきたのではないでしょうか。

原始人の偉大な暮らし!?

 私の体験談を読んでも、まだあなたの抱く心の中の原始人のイメージはさほど変化していないかもしれません。「過去も未来も考えないで、ただ今を生きるために石斧を手にマンモスを追いかけながら、文化のない貧しい、惨めな暮らしをしていた毛むくじゃらの猿人」といった印象があまりにも定着しているからです。

 このように文明誕生以来、その対極として「原始人から学ぶものは何もない」といった否定的概念が、世界基準として君臨し常に新しい知識や技術、最先端なものが真として受け入れられてきました。原始人ではなく、文明人として人間らしく暮らさなければいけない、私たちはそんな固定観念に何千年も束縛されてきたのかもしれない。

 私は、「原始人の本当の姿」を理解するには、遺物を見たり頭で考えたりしただけでは得られないことを、今までのものづくりの体験から学んできました。そもそも、原始時代に丸木舟で大海を航海できること自体、現代版の宇宙旅行と言っても過言ではないのです。それは、超絶的な人間力と技術力と文化力で高度な生活様式を確立していた証なのです。この原始人たちの偉大な暮らしを、恥ずかしながら私も最近知ったのです。と言いますのも、「3万年前の航海プロジェクト」を体験したことで・・・。

〈持続可能な暮らしを創造する世界目標に向けての道〉

 地球が誕生してから46憶年を1年に例えれば、国家都市・金属の使用・文字の発生という三要素の「文明」が始まったのは、12月31日11時59分からです。

 約5000年間、続けてきた文明社会の挙句の果てを想像してみると、「地球はゴミの山に埋め尽くされて終わる」という悲しい結末を想像してしまう。どんなに綺麗な言葉ばかり並べてみても、現実の私たちの暮らしを直視すれば、自然な流れではないでしょうか。今日までのたった60秒の営みが、「地球は俺たちもの」という人間中心主義の世界に変えてしまった。

 しかし、その世界を良しとしない「人類は地球を破壊するために誕生したのでは決してない」という良心が、みんなの心の中に生き続けています。

 私たちの使命は、その思いを形にすること。地球上のすべての生命が「楽しく・仲良く・面白く暮らせる地球船」を造り上げることです。この壮大で崇高な理想の暮らしをどのように創造すればよいのか、石斧での丸木舟づくりを通じて世界中のみんなと共に考えて実践していきたい。ぜひ、みなさんの力を貸して下さい。 

世界初!石斧でつくる全長8mの原始丸木舟